榎本径 このようにドアには鍵が掛けられ、さらに目張りがしてあります。こんろの中には練炭の燃えかすが
あり、壁には「サヨナラ」のメッセージ。状況から見て、練炭自殺と考えるのが普通でしょう。ただ、
最近の住宅は気密性が高いので、必ずしも目張りをする必要はありません。まして、窓にまで目張り
をするというのは少々やり過ぎです。
では問題です。彼はなぜこんなにも厳重に部屋を密閉したんでしょうか?用心深く完璧主義の人間
だったからなのか?
それとも…。
芹沢豪 えっ? ええ!?
長年かけて集めた腕時計のコレクション根こそぎ持ってかれたよ。
榎本径 最上階というのは1~2階に次いで狙われやすいんです。
青砥純子 えっ? そうなんですか?
榎本径 屋上のドアに掛かってる鍵というのはたいていはピッキングで開けられてしまう適当なものです。屋上
からロープを使って下降すればほとんどの部屋のバルコニーや窓にアクセスできるんです。
芹沢豪 じゃあ、どうすりゃいいんだよ?
榎本径 まずは窓を補強することです。補助錠の他にこういったセンサーやガラスに貼るフィルムなんかも効果的
でしょう。次に警戒すべきなのはやはり玄関です。ドアの鍵は最低でも2つ。できれば3つ付けておく
ことがベストでしょう。
芹沢豪 冗談じゃないよ。鍵3つ持つなんてやだよ。
榎本径 3つともシリンダーを同じにすれば1本の鍵で開けられますよ。それでもピッキングの手間は3倍に
なります。
一番簡単なのは3つの鍵のうち上下の2個だけを開け閉めし真ん中の鍵は開けておく方法です。
ただし、真ん中の鍵だけは解錠方向が上下とは逆になるように取り付けます。
こうすると泥棒が3つをピッキングしたとしても真ん中は閉めたことになるのでドアは開きません。
芹沢・青砥 なるほど。
榎本径 また目的が物取りではなくストーカーだったりする場合…。
芹沢豪 説明はいいからさ、完璧にやってくれよ。金はいくらでも出すから。
榎本径 分かりました。300万ほど掛かると思います。
芹沢豪 300万!?
榎本径 それでも時計のコレクションに比べれば安いもんです。では。
青砥純子 あっ、あの。こないだの報酬のことなんですけど。まだお話しできてなかったですよね?
榎本径 報酬?
青砥純子 はい。密室殺人事件の解決なんてちょっとケースが特殊なもので相場がよく分からなくて。
榎本径 いりません。
青砥純子 いや。でもそういうわけには。
榎本径 あれは会社の業務とは関係ありませんから。
青砥純子 それじゃあ、こちらも…。
榎本径 ではそのうち何か困ったことがあったときに相談に乗ってください。
青砥純子 それは構わ…。 あっ。
芹沢豪 300万かぁ。
芹沢豪 それではですね。特許実施権の範囲の部分だけ修正を加えまして正式な契約書を作成させて
いただきますがよろしいですか?
クライアント はい。よろしくお願いします。
芹沢豪 よろしくお願いします。
クライアント 何ですか?
芹沢豪 その時計どうされました?
クライアント どうって。買ったんです。
芹沢豪 どこでいつごろお求めになられました?
芹沢豪 うん!?ああ。どいつもこいつも泥棒に見える。ハァー。
青砥純子 はい。
青砥純子 榎本さん、お待たせしました。
榎本さん、お待たせしました。
榎本径 すいません。急に。
青砥純子 今日は何かご用件でも。
榎本径 昨日の話なんですけど。報酬の。
芹沢豪 報酬につきましてはわれわれも誠意をもってできる限りの対応をしたいと考えております。
榎本径 早速なんですが相談に乗ってもらえますか?
芹沢豪 えっ?
榎本径 実は先日こちら会田愛一郎さんのおいごさんが亡くなられたんです。死因は練炭による一酸化炭素
中毒です。
青砥純子 練炭?
榎本径 目張りをした部屋で練炭をたいたんです。遺体からは睡眠薬も検出されています。
青砥純子 つまり練炭自殺ということですね。
榎本径 いえ。会田さんは自殺だとは思っていないようです。
青砥純子 えっ?
会田愛一郎 大樹はホントに妹思いの子だったんです。美樹一人を残して死ぬなんて絶対にあり得ない。
自殺なんてするはずがないんです。
芹沢豪 ハァー。残念ですが、それだけでは根拠としては乏しいですね。
会田愛一郎 2人は3年前に母親を亡くしてるんです。美樹が頼れるのは大樹しかいなかったんです。
芹沢豪 母親が?
会田愛一郎 はい。2人の母親は僕の姉でみどりといいます。父親は美樹が生まれてすぐに事故死しました。
姉はその後高澤さんという中学校教師と再婚したんですが、3年前に病死してしまい高澤さんが
子供たちを引き取ることになったんです。
あの日は高澤さんから大樹の引きこもりについて相談があるといわれてうちに行ってみたんです。
高澤美樹 お兄ちゃん開けてよ。お兄ちゃん。
お兄ちゃん。ねえ?
どうしたの?お兄ちゃん。
高澤芳男 どうした?美樹。
高澤美樹 おかしい。お兄ちゃん全然返事しない。
高澤芳男 いつものことじゃないか。
高澤美樹 違う。私には絶対返事してくれるもん。
返事して、お兄ちゃん。返事してよ。
会田愛一郎 どいて。大樹。どうした?
おい。大樹!
おい! おい!
んっ! んっ! んっ!おい!
高澤芳男 そのドアを力ずくで壊すのは無理です。危ないから。もっと。下がって。下がって!
鍵はこの穴のすぐ上だったはずだ。
何か。何か曲がった棒のようなもんがあればつまみ回して開けられるんだが
会田愛一郎 僕がやります。
高澤芳男 えっ?
会田愛一郎 すいません。
高澤芳男 あっ。
(鍵の開く音)
会田愛一郎 開いた。あれ?
会田・高澤 えい! えい! えい!
芹沢豪 あれ?
青砥純子 何ですか?
芹沢豪 今あなたが鍵を開けたっておっしゃいました?
会田愛一郎 はい。
芹沢豪 工具箱の中のもの使って。
会田愛一郎 はい。
芹沢豪 そんな簡単に開くもんなんですかね?僕は素人には難しいと思うな。
青砥純子 芹沢さん。いいかげんにしてくださいよ。
芹沢豪 何が!?
青砥純子 すみません。こないだ空き巣に入られたばかりでうたぐり深くなってるんです。
芹沢豪 バカ。それとこれとはな。
青砥純子 もうみんなが泥棒に見えるみたいでホントに申し訳ございません。
芹沢豪 余計なこといちいちな…。
会田愛一郎 そうですよ。
芹沢・青砥 えっ?
会田愛一郎 僕は窃盗の常習犯で5年間服役して半年前に出所しました。
芹沢豪 窃盗ってあの人のものをとる窃盗ですか?
会田愛一郎 はい。いや、でも今は足を洗いました。
芹沢豪 本当に足を洗ったのか?おとといの晩港区港南6の4の…。
青砥純子 大樹君なんですけれども状況を聞くかぎりでは事故死とは思えないですよね。
会田愛一郎 もちろんです。
青砥純子 自殺でも事故でもないとすると誰かに殺されたと考えているんですか?
会田愛一郎 高澤さんはあの日ずっと家にいました。美樹は友達と出掛けていたし。
他の誰かが彼に知られないように家に入って大樹を殺すのは不可能です。
青砥純子 高澤さんが殺したということですか?
芹沢豪 警察は大樹君の死について何と言ってるんです?
会田愛一郎 自殺としか考えられないと言っていました。なぜならあの部屋は大樹以外は誰も入れない密室だからと。
芹沢豪 密室?
高澤芳男 じゃあ、今日はこの問題を阿部に解いてもらおう。
阿部 えっ?
高澤芳男 今解きたいって顔してただろ。
阿部 いや。してねえよ。
高澤芳男 してたよな、みんな。なあ?
阿部 してねえって。
高澤芳男 ほら。さっさと来て。
阿部 マジかよ?
榎本径 まず高澤さんに殺人の動機があったかどうかを弁護士の職権で調べてもらいたいんです。
青砥純子 動機というと?
榎本径 会田さんのお姉さんはご両親から多額の遺産を受け継いでるはずなんです。もしかしたら大樹君が
亡くなったことで高澤さんが利益を得る立場にいる可能性があります。
青砥純子 ご両親の遺産ということは会田さんも相続なさったんですか?
会田愛一郎 いや。僕は犯罪に手を染めているんで権利は剥奪されたんです。
芹沢豪 相続排除ですか。
会田愛一郎 もともと父親とは折り合いが悪くて。姉としか連絡を取ってなかったんで。特に異議は申し立てません
でした。
榎本径 それからもう一つ。僕が大樹君の部屋を見られるよう美樹さんに頼んでもらえませんか?
青砥純子 えっ?会田さんからお願いすればいいんじゃないですか?
会田愛一郎 僕は美樹に避けられているんです。
芹沢豪 会田さんの気持ちは分かりますが警察が自殺と断定したものをわれわれがどうこう言っても。
会田愛一郎 お願いします!僕は何としても事の真相を知りたいんです!もし。もし、大樹が殺されたんだとしたら、
このままじゃあまりにもかわいそ過ぎます。それに美樹の身にも危険が及ぶかもしれません。
それだけは何としても阻止しないと。
芹沢豪 まあ、あの。落ち着いて。
会田愛一郎 お願いします!力を貸してください。お願いします!
青砥純子 分かりました。
芹沢豪 えっ?
芹沢豪 何で俺までここにいなきゃなんないんだよ?俺は企業法務しかやらないってあれほど言ったよな?
聞いてなかったのか?
それにさ、よりによって何で窃盗犯のために貴重な時間費やさなきゃなんないんだよ?大切な時計
とられた上にタダ働きですか。ホントに割に合わないったらありゃしないよ。
青砥純子 時計をとったのは会田さんじゃないですよ。
芹沢豪 大きなくくりで言えばあいつがとったも同然なんだよ。
青砥純子 ハァー。榎本さんには借りがあるわけですからしょうがないですよ。
芹沢豪 ハァー。何であのときすぐに報酬払わなかったんだろうな?俺は。後悔先に立たず。
青砥純子 あっ?
芹沢豪 提灯持ちは後に立たず。ハハハ。
青砥純子 あっ。
あの。すいません。高澤美樹さんですよね?
青砥純子 それで会田さんからお兄さんの部屋をもう一度調べてほしいと言われたんですが。私たちが家の中に
入ることを許可してもらえないでしょうか?
あなたはどう思う?お兄さんは自殺したんだと思う?
高澤美樹 関係ない。
青砥純子 えっ?
高澤美樹 もし自殺じゃなかったとしてもあの人には関係ない。
青砥純子 どうしてそんな。
高澤美樹 人のものを盗むなんて最低。
青砥純子 確かに悪いことだけど。でも会田さんはちゃんと罪を償ったんですよ。今は足を洗って真面目に…。
高澤美樹 いまさら心配されても、もう遅いし。失礼します。
芹沢豪 チッ。家人の許可がなければ調査は無理だな。残念だけど諦めよう。事務所に戻って契約…。
お前誰に電話してんだ?おい。
青砥純子 榎本さん。家に行ったところで美樹さんは入れてくれないと思います。
榎本径 美樹さんではありません。
青砥純子 えっ?
榎本径 高澤さんに話をするんです。
青砥純子 えっ!?
芹沢豪 あのな。自分を疑ってる人間をほいほい家に上げるバカどこにいんだよ?
青砥純子 そうですよ。それに弁護士といっても特に権限があるわけじゃないし強制することはできません。
高澤芳男 いいですよ。どうぞ入ってください。
青砥純子 えっ?いいんですか?
高澤芳男 ええ。愛一郎君の気持ちも分かりますから。気の済むまで調査なさってください。どうぞ。
芹沢豪 いやー。いい人だった。びっくりした。ホントは不愉快だったろうに嫌な顔一つせずにわれわれに対応してくれた。なかなかできることじゃないぞ。さすが教育者だ。なっ?
考えてみりゃさ、あの人は血がつながってない子供を2人も引き取ったわけだよな。まだ若いし再婚だってできるのにほっておくことができなかったんだろうな。人格者じゃないか。
青砥純子 でも…。
芹沢豪 さっきの見たろ?あれが子供を殺す男の顔か?俺はそうは思わない。これはやっぱりあれだ。間違いなく自殺だよ。全ては会田愛一郎さんの思い込みに違いない。なっ?
青砥純子 大樹君は引きこもりだって言ってましたけど、食事とかはどうしてたんですかね?
榎本径 妹さんが運んでいたんですよ。当日の朝も彼女が作った食事と高澤さんが入れたコーヒーを奇麗に平らげていたそうです。
青砥純子 自殺する前なのに?
芹沢豪 いわゆる最後の晩餐だ。俺なら残さず食べるね。
青砥純子 大樹君の体内からは睡眠薬が検出されたんですよね?
榎本径 部屋のごみ箱に薬剤シートも残っていました。
青砥純子 もしかして…。
芹沢豪 何だよ?
青砥純子 もしかして高澤さんがコーヒーの中に睡眠薬を入れたんじゃないですか?
芹沢豪 バカ言えよ。練炭自殺するときは睡眠薬を服用すんのが普通だろ。
青砥純子 朝食の食器は?調べたんですか?
榎本径 高澤さんが洗ってしまっていたそうです。
青砥純子 ハァー。
芹沢豪 長いことさ引きこもりなんかやってると自殺したくなる場合あるよね。
青砥純子 えっ?
芹沢豪 あっ。これは間違いなく自殺だ。高澤さんにもご迷惑だからそろそろ切り上げて帰ろう。
さあ、行くぞ。
青砥純子 大樹君ってホントに引きこもりだったんでしょうか?
榎本径 どういう意味ですか?
青砥純子 うーん。引きこもりって生きることに無気力で社会とのつながりを一切拒否してひたすら現実逃避するものだと思うんですけど。ここに並んでる本からはそういうイメージが湧かないんですよね。
(ノック)
青砥純子 失礼します。
高澤芳男 あっ。終わりましたか?
青砥純子 はい。ありがとうございました。
高澤芳男 よし。ああ。あらら。
青砥純子 あっ。大丈夫ですか?
高澤芳男 ああ。すいません。どうも。
青砥純子 いいえ。
榎本径 何のチラシですか?
高澤芳男 これですか?あっ。どうぞ。
青砥純子 あっ。すいません。
高澤芳男 科学の実験にマジックを取り入れたショーやるんです。特別授業ってやつですかね。
青砥純子 一般にも公開されてるんですか?
高澤芳男 公開っていうと大げさですけど、時々父兄から見に来たいって言われてるもんで。
青砥純子 へえー。みんなが楽しみにしてるなんてすごいですね。
芹沢豪 またこれかよ。
榎本径 では部屋に入ってみましょうか。まずドアには鍵が掛かっていてさらに目張りがしてありました。目張りに使われたのは普通のガムテープではなくもっと幅が広くて薄いタイプのビニールテープだったそうです。
犯人はどうしてこのテープを使ったんでしょうか?
芹沢豪 そんなのたまたまだろ。
榎本径 ドアの外から目張りをするためにあえて選んでいたとしたら?
青砥純子 幅が広くて薄い方がいいってことは。
芹沢豪 あっ。
青砥純子 えっ?
芹沢豪 いや。別に。
榎本径 何か思い付いたんですか?
芹沢豪 あっ、いや。何でもない。
青砥純子 何ですか?言ってみてください。
芹沢豪 掃除機使ったんじゃないかな?
青砥純子 掃除機?どうやって?
芹沢豪 このようにドアの縁からはみ出すようにテープを貼ってだな。それから廊下に出て扉を閉める。そして外から掃除機で吸引をすればテープが引っ張られて目張りが完成するはずだ。
青砥純子 すごい。絶対そうですよ。
榎本径 いえ。それは無理でしょう。
芹沢豪 何で?
榎本径 このドアは隙間風が入らないよう段差をつけたドア枠に収納される構造になっています。外から吸引してもこのドア枠に阻まれてテープを引き付けることはできないんですよ。
芹沢豪 やっぱりな。どうせ自殺なんだからさ、できなくて当たり前なんだよ。ちょっと言ってみただけ。
青砥純子 鍵の方は外から掛けられるんですか?
榎本径 ドアの隙間は目張りで完全につぶされてますからテグスで引っ張るといった手法は使えません。
青砥純子 ああ。とすると。
芹沢豪 あっ。いや。いい。
榎本・青砥 どうぞ。
芹沢豪 機械か何か仕掛けてあったんじゃないのかな?
榎本径 遠隔操作ですか?
芹沢豪 そう。外から電波送って鍵を閉めたとか?ああ。機械工学の知識があればできないことないと思うんだけどな。
榎本径 僕も同じことを考えました。
芹沢豪 よし!
榎本径 ただそうだとしたら会田さんがドアを開けたとき仕掛けがまだ残っていたはずなんです。でも2人の証言によると高澤さんが仕掛けを回収できるチャンスはなかったと思われます。
芹沢豪 だから俺は自殺だってずっと言ってきただろ。さすがの榎本も認めざるを得ないよ。
それにたとえだ。たとえ他殺だったとしても警察を説得できる材料がなければどうにもならないんだよ。われわれにできるのはここまでだ。なっ?
水城里奈 青砥さん。例の遺産相続の件調べました。
(ノック)
芹沢豪 はい。
青砥純子 芹沢さん。ちょっといいですか?
芹沢豪 よくないよ。
青砥純子 会田家の遺産がどうなってるか分かりました。亡くなったご両親から娘のみどりさんと会田さんを飛び越えて孫の大樹君と美樹さんにそれぞれ2億ずつ相続されていました。
芹沢豪 母親は相続を放棄したってわけだな。
青砥純子 そういうことです。会田さんも相続排除されてるし。
芹沢豪 それで?
青砥純子 みどりさんは高澤さんと再婚したけど、子供たちとの養子縁組はしてなかったようなんです。なのになぜか亡くなる直前になって急に手続きが行われています。これによって子供たちが亡くなった場合全ての遺産が高澤さんに入ることになったわけです。これって殺人の立派な動機になると思いませんか?
芹沢豪 思わない。
青砥純子 えっ?
芹沢豪 お前さ、どうして物事そう斜めから見るんだよ。再婚相手の余命がいくばくもないと知って子供たちのホントの父親になる決意をしたのかもしれないじゃないか。
いや。きっとそうだ。あの人はそういう人だ。いいか?俺はな今まであらゆる種類の人間をたくさん見てきたんだ。お前とは経験値が違う。俺の目を信じろ。高澤さんはいい人だ。
青砥純子 いや。 でも…。
芹沢豪 でもじゃない。この話は終わりだ。悪いが仕事がたまってるんでね、出てってくんないかな。
青砥純子 いや。でも…。
高澤芳男 飲まないのか?コーヒー。今日のはコナのマカダミアナッツだぞ。前にいい匂いって言ってたから買ってきたんだ。
高澤美樹 ごちそうさま。いってきます。
高澤芳男 また学校でな。
高澤美樹 うん。(ドアの開く音)
(拍手)
一同 おおー。
青砥純子 えっ?
一同 おおー。
高澤芳男 今日は空気の話をします。この状態だと引っ張ってもすぐ元に戻ってしまうよね。でもこれを熱すると。ほら、押子が動いてきたね。熱せられた空気は膨張する。膨張した空気の圧力が押子を外側に動かしてんだ。
これがボイル・シャルルの法則を理解する上で一番重要な現象です。空気とエタノールの混合気体が燃焼し急速に熱膨張が生じることで紙コップが飛ぶ。このコイルは時間とともに変化する高電圧を発生させるんだ。だからつながってなくても蛍光灯は光る。
一同 おおー。すげえ。
高澤芳男 2つの電極間に発生した放電が浮力によって上に上がる。
青砥純子 結構面白かったですね。私も高澤さんみたいな先生に教わってたら科学が好きになってたかもなぁ。
やっぱり大樹君は自殺したんですかね?
高澤美樹 あの。
青砥純子 美樹ちゃん。
高澤美樹 あなたは叔父さんの友達なんですか?教えてください。叔父さんはどんな人なんですか?
榎本径 高澤さんはどんな人ですか?
高澤美樹 えっ?
榎本径 教育熱心でユーモアもあって生徒からも父兄からも絶大な信頼を得ている。いわば教師の鑑ですよね?
それに比べて会田さんは窃盗を繰り返した揚げ句に傷害事件を起こして刑務所に入った前科者。最低な男だ。
青砥純子 ちょっと、榎本さん。
榎本径 世間的には。会田さんがどんな人かはあなたが自分で確かめた方がいいんじゃないですか?人の評価なんてどうせ当てにならないから。
青砥純子 美樹ちゃん、何かあったらいつでも連絡して。頑張ろうね。
みどり 大樹
会田愛一郎 いいよ。いいよ
みどり また。 もう。
美樹 おいしい?
会田愛一郎 うん。おいしいとっても。みんなで食べると何でもおいしいな。
美樹 うん。
みどり・大樹 おいしいね。
(エレベーターの到着音)
(足音)
高澤美樹 これ、何かの役に立ちますか?窓とドアに貼ってあったテープです。私が剥がすって言って捨てたふりして隠しておいたんです。何かの証拠になると思って。
教師 高澤先生。お嬢さん大丈夫ですか?
高澤芳男 美樹が何か?
教師 あっ、いえ。具合が悪いから早退するって聞いたんですけど。
榎本径 よく見てください。あちこちに細かいしわができているのが分かりますか?あっちの窓の目張りにはこういったしわはありません。きっとロールからテープを引き出しながら貼ったからでしょう。
青砥純子 じゃあ、ドアの目張りは?
榎本径 半分はみ出すように貼っておいて後は自然に貼り付いたんだと思います。
青砥純子 自然に?
芹沢豪 そんなわけはないだろう。どうやったらテープが勝手にひっつくんだよ?
榎本径 静電気を使ったんですよ。
芹沢豪 静電気?
榎本径 このテープを見て思い付いたんですが、静電気というのは異なる物質を擦り合わせることで発生します。このようにシャツの袖で一部分をこすればやがて全体が帯電するはずだから。時間はかかりますが最終的にテープは全て貼り付くと思われます。
青砥純子 へえー。
榎本径 でも重要なのはどうやって目張りをしたかというよりどうして目張りが必要だったのかということかもしれません。
青砥純子 自殺に見せ掛けるためじゃないんですか?
榎本径 それが目的ならわざわざ窓にまで目張りをする必要はありません。アルミサッシは気密性が高いからそのままでも練炭自殺はできるんです。
青砥純子 じゃあ、窓の目張りには部屋を密閉する以外の役割があったってことですか?
榎本径 いえ。目張りというのはやっぱり気密性を高めるために行うものでしょう。
青砥純子 というと?
榎本径 要するに犯人は練炭自殺で要求される以上の完璧な気密性を必要としていたんです。
芹沢豪 何で俺見んだよ?
青砥純子 だって分かりましたか?今の。
芹沢豪 分かるわけないだろうが。
青砥純子 あれ?何か付いてますよ。
芹沢豪 うん?おっ。
会田愛一郎 あっ。あの。関係あるか分からないんですが。大樹の部屋に踏み込んだ瞬間紙切れが風で舞い上がったんです。その一つが服にかかったみたいで。
やっぱりただの紙切れですよね。
榎本径 ちょっと待ってください。部屋にあった紙テープはいつ片付けられたんですか?
高澤美樹 目張りを外すより前です。気が付いたらあいつが捨てちゃってたんです。
榎本径 ということは目張りに使われたビニールテープより紙テープの始末を急いでいたということですか。
青砥純子 ボイル・シャルルの法則って何でしたっけ?
高澤美樹 こないだあいつが実験してたじゃないですか。ほら、注射器の。
青砥純子 ああ、大気圧の実験か。
(ドアの開く音)
高澤美樹 帰ってきた。
会田愛一郎 大丈夫。
榎本径 そうか。そうだったのか。密室は破れました。
会田愛一郎 お前が遺産目当てで大樹を殺したことは分かってんだよ。密室のトリックだって全部分かってんだよ。
高澤芳男 愛一郎君。もうやめましょう?
会田愛一郎 あの目張りだって静電気を使って貼っ付けたんだろ?
高澤芳男 ハァー。そんなに。私を殺人犯に仕立て上げてまでそんなに美樹を手に入れたいんですか?
会田愛一郎 えっ?
高澤芳男 こんなこと言いたくなかったんですが、彼は美樹のことを一人の女として愛してるんです。
会田愛一郎 えっ?
高澤芳男 みどりから生前に彼の性癖について打ち明けられて。私が守ってやるしかないってそう決めました。それでみどりを安心させるために養子縁組をしたんです。
会田愛一郎 おい。
高澤美樹 嘘つき。
会田愛一郎 違うんだ、美樹。俺は…。
高澤美樹 嘘つき!あんたの言うことなんて信じない!
高澤芳男 美樹。じゃあ、いったいどうやって私が大樹殺したっていうんだい?静電気を使って目張りできたかもしれないけど。でも、ドアには内側から鍵が掛かってたじゃないか!?
榎本径 掛かっていませんよ。この部屋には鍵なんて掛かっていなかったんです。
芹沢豪 じゃあ、どうしてドア開かなかったんだよ?
榎本径 気圧差があったからですよ。
青砥純子 気圧差?
榎本径 この部屋のドアは内開きです。中の気圧が外よりずっと高かった場合ドアには圧力がかかります。そうなるといくら押しても開けることはできません。
青砥純子 でもどうやったら中の気圧を高くしたりできるんですか?
榎本径 簡単なことです。エアコンを設定して温度を2~3度上げればいいん
ですよ。
青砥純子 2~3度でいいんですか?
榎本径 ボイル・シャルルの法則だとそれぐらいの計算になりますよね?高澤さん?
高澤芳男 よく覚えてらっしゃいますね。確かに完全に密閉された部屋であれば2~3度で十分でしょう。
芹沢豪 ちょっ。ちょっ、ちょっと待ってくれよ。練炭なんかたいたらさ、2~3度どころか軽く10度上がっちまうだろ。
榎本径 はい。普通は気圧が上がり過ぎてドアが吹っ飛ぶか、少なくとも亀裂ぐらいは生じるはずです。
青砥純子 えっ?10度で?じゃあ、何で普段は暖房つけてもドア大丈夫なんですか?
榎本径 僕たちが普段生活してる部屋には必ずわずかな隙間が存在します。空気が膨張したとしても逃げ場があるから問題ないわけです。
青砥純子 だから窓にも目張りが必要だったんですね。
榎本径 そういうことです。つまり…。
芹沢豪 練炭をたいたときにはまだ目張りはされてなかったってことだな。
榎本径 そのとおりです。犯人はおそらく大樹君の死亡を確認してから燃えている練炭を燃えかすと入れ替えその後で目張りをしたんでしょう。
高澤芳男 フフッ。ハハハハハ。まったく、よくそんなこと思い付きますね。でもそれならなぜドアは開いたんですか?
榎本径 それはあなたが穴を開けたからです。それによって空気が逃げ室内の気圧が戻ったことでドアを押さえ付けていた圧力は消失しました。
高澤芳男 面白いこと言うね。でもそんなこと問題じゃないだろう!
愛一郎君、君だって知ってるはずだ!このドアには確かに鍵が掛かってたじゃないか!この鍵を開けたのは君だろ!?
榎本径 クロースアップマジックですよ。
高澤さん、手品がお得意でしたよね?
高澤芳男 それが何か?
榎本径 5年ぶりに会田さんが訪ねてくる日に大樹君が亡くなったのは偶然ではありません。犯人は最初から会田さんを利用するつもりだったんです。
高澤芳男 何か。何か曲がった棒のようなもんがあればつまみ回して開けられるんだが
会田愛一郎 僕がやります。
榎本径 犯行現場が密室だったと警察に思わせるためにわざと会田さんに解錠させるようしむけ、確かに鍵が掛かっていたことを証言させたんです。
会田愛一郎 そんな。
榎本径 会田さん、鍵を開けるのにてこずったと言ってましたよね?
会田愛一郎 ああ。妙に滑るっていうか。緊張してたのかな。
榎本径 いくら緊張していてもあなたがこの程度の補助錠にてこずるなんておかしいです。サムターンに何か細工がしてあったとは考えられませんか?
青砥純子 サムターン?
榎本径 サムターンというのはドアの内側の錠に付いてるつまみのことです。
芹沢豪 細工ってどんな細工だよ?
榎本径 例えば紙テープのようなものを巻きつけてあったとか?
芹沢豪 どうなんですか?
会田愛一郎 ああ。言われてみれば。
榎本径 さて、そろそろマジックの種明かしをしましょう。高澤さんは穴の位置が補助錠の下にくるようにあらかじめドアに印を付けておきました。サムターンには紙テープが分厚く巻きつけてあったんだと思います。テープをサムターンの施錠方向と同じ右回りに巻いておきドリルの先端を接触させて低速回転させると歯車のようにサムターンに回転が伝わり施錠されるというわけです。
青砥純子 じゃあ、犯人は土壇場で、しかも目撃者がいる前で鍵を閉めたってことですか?
榎本径 クロースアップマジックというのは至近距離で行う手品のことをいいます。犯人は観客に鍵を開けようとしてると思い込ませ、その思い込みを利用して、逆に鍵を閉めるというマジックを行ったんです。また、サムターンに巻きつけた紙テープはドリルによって切断され自然に緩んで落下するはずでした。しかし、一部が残ってしまったため、棒が滑りなかなか鍵を開けることができなかったんです。
高澤さん、部屋中を紙テープで飾ったのはテープの切れ端が床に落ちていても不審に思われないようにするためですね?
高澤芳男 面白い話だが、全ては憶測にすぎない。証明ができないかぎり憶測には何の価値もないんだ!
榎本径 そうでしょうか?証拠は警察が本気で調べれば続々と出てくるはずですよ。それにこれ一つでもおそらく致命傷になるでしょうね。奇跡的に残った紙テープの切れ端です。両端にドリルビットで切断された跡があることはすぐに分かると思います。大樹君が自殺したんじゃないとすると誰かが彼を殺害したことになります。もはやあなたを守る盾はありませんよ。密室は破れたんですから。
青砥純子 会田さんが紙テープの切れ端を持ってたことはホントに奇跡でしたね。
芹沢豪 まあな。
青砥純子 ポストイットにボイル・シャルルの法則と書いてあったことといい何となく亡くなった大樹君からのメッセージだったんじゃないかってそんな気がするんですよね。
芹沢豪 俺がさ、推理小説の次に嫌いなものは何だか分かるか?
青砥純子 恋愛小説?
芹沢豪 超常現象およびホラー小説だ。
そういやさ、榎本と会田ってのはどういう知り合いなんだよ?
青砥純子 さあ。古い知人とかって言ってましたけど。お願いします。
芹沢豪 まさか空き巣仲間だったりしてな。
青砥純子 まさか。そんなことあるわけないじゃないですか。
芹沢豪 ハハハハ。
(鍵の開く音)
女性 あっ。開いた!?すごーい!
絶対にピッキングできない鍵だって言ってたからどうしようかと思ってたんです。
榎本径 こんなの余裕です。
女性 えっ?
榎本径 鍵を落としたなら新しいものに取り換えることをお勧めします。では。
榎本径 さて、次回の密室は…。
密室解明のキーワードは「1六桂」
以上、榎本径でした。